199607⑥

 後半に向け一丸となった日本五輪代表。ようやく出番がきたと目を輝かせる遠藤卓也と久保龍彦。こみ上げる緊張と闘争心をまぎらすように卓也は軽口を叩く。

「タツ、知ってっか? あいつらスーパーイーグルスって呼ばれてるらしいぞ? イーグルって分かるか? 鷹ってことだ」
「もちろん分かってますよ! なんか強そうな名前っすよね」
「ま、確かに強そうだしかっこいいよな。けどな、うちにはもっと強そうなやつがいる」
「ん? どういう意味っすか?」
「お前だよ、ドラゴン」

 卓也はにやりと笑って久保の胸に拳をあてた。

「鹿児島の誇る龍がたかだたか鳥に負けるわけねーよな?」

 久保もにやりと笑った。

「もちろんっす! 蹴散らしてみせます!」




 後半が始まった。日本は前線の城を久保に、右WBの白井に代わって遠藤卓也を投入。攻撃的な選手を投入しつつも、ハーフタイムに西野が示した通り、コンパクトに守備を固めながらカウンターを狙うことに全員が集中する。

 ブラジル戦からの疲労、未知なるアフリカンフィジカルに苦しみつつも、この日もGK川口は好セーブを見せ、井原を中心とした守備陣と両アウトサイドは懸命に身体を張って守った。
 ナイジェリアの縦に速い攻撃を井原が熟練のラインコントロールで封じ、ドイスボランチの伊東と服部は懸命に走り回ってセカンドボールを拾い続けた。

 確かにナイジェリアは強い。しかし、日本はそれ以上の強さを既に知っていた。

 ――それでもブラジルの方が強い。

 激戦を潜り抜けた確かな経験は日本五輪代表全員に世界最高の判断基準を植え付けていた。

 ――確かに強い。しかし、それ以上の攻撃を俺達は封じてみせた!

 確かな自信が精神の安定をもたらし、明確なゲームプランが迷いを打ち消す。
 身体的な部分はともかく、日本は最高の精神状態で流れを掴み寄せつつあった。しかし、ナイジェリアもまた強豪。試合の流れは一進一退の様相を見せる。




 動いたのは後半31分。疲れを見せ始めた服部に替わって入った広長がボールをカット。そのまま前に持ち上がり、久保に当てる。
 素早く前を向いた久保が不器用なりのスルーパスを舞園へと通すと、DFに挟まれるような位置でボールを受けた舞園は、絶妙なファーストタッチで両者を一気に置き去りにする。
 飛び出してきたGKも軽いステップで鮮やかにかわした。いささかコントロールが乱れ、ゴールへの角度は厳しい位置であったが、パスを出した久保は懸命のパス・アンド・ゴーでゴール前へ突っ込んできていた。

 その瞬間――必死に戻ってきたナイジェリアのDFが舞園の足元にすっ飛んでくるのを、舞園は視界の端で捉えていた。

 舞園の心にここでPKを取りにいけば……という打算が生まれ、その打算は一瞬で消えさる。舞園は日本五輪代表の『元』主将である。舞園を信じてその重責を託した監督の言葉がその誘惑を打ち消した。

――倒されても倒されても黙って前を目指し、苦しい時に仲間の心をプレイで奮い立たせる。攻めて、魅せて、勝つ! それがお前のプレイだよ。倒れて、大げさにグラウンドをのたうち回るようなカッコ悪いとこ見せないでくれよ、ゾノ。 

 ベンチの西野が拳を握りしめる。

「ゾノ、お前が日本の柱なんだ。魂なんだ。攻めろ!」

 飛び込んでくるDFを最小限の動きでかわし、舞園はシュート態勢に入る。

「ここで挑戦しないで何が世界だ! 決めてみせる!」

 厳しい角度からのシュートを躊躇いなく振り切った舞園。

 そのシュートはカーブを描いてゴール右上隅に向かい……ポストに衝突した。




 西野や観客が天を仰ぐ。しかし、ボールはまだ生きていた。跳ね返ったボールに飛び込む日本とナイジェリアの選手達。
 懸命に走って上がってきた卓也がセカンドボールを拾う。
 ここで卓也はナイジェリアが落ち着きを取り戻す前に攻め立てることを選択し、センタリングを上げる。

「決めろ、タツ!」

 その言葉に反応するかのように空高く翔び上がる日本人FWの姿があった。その高さに慌てたようにナイジェリアDFのウエストも飛んだ。

「鶏ごときに……龍が負けるか!」
「いや、鶏じゃなくて鷹な」

 天を目指した哀れな鷹は、雄々しき龍にねじ伏せられ、地を這いつくばった。
 龍の咆哮が響き渡り、ボールがゴールに突き刺さる。

 この1点が決勝点となり、日本は2連勝で本選出場をほぼ確実なものとしたのであった。
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199607⑤

 西野の怒声が飛んだ。

「みんなが頑張ってるのに、なんでお前はそういうことを言うんだ!」

 その言葉を成人式すら迎えていない若者は無言で受け止めていた。




 ナイジェリア戦のハーフタイム。

 ロッカールームに引き上げてきた仲田は、左サイドでプレイする路木にもっと押し上げてくれないとサッカーにならないと不満をぶつけていた。
 困ったのは路木だった。試合前、路木は「ブラジル戦同様、自陣でボールを奪うことを考えるように」と指示を受けていたからである。

 監督の指示に従い、自分なりにその仕事をこなしているという認識でいた路木にとって、仲田の言葉はすんなり頷けるものではなかった。

 自分の意見をぶつける仲田と困惑する路木。二人のやりとりを聞きつけた西野には放置するという選択肢はなかった。監督の指示に対する選手による明確な反逆。
 西野は怒りを爆発させた。
 それは西野が監督となって初めてのことであった。

 五輪本大会という大舞台のハーフタイムに起きた異常事態。この瞬間こそ、日本五輪代表が完全に崩壊した瞬間であった。

 それが史実である。








 ブラジルを破った日本は勢いに乗った。

 続くナイジェリア戦はブラジルから中1日という強行軍。

 西野をはじめとするスタッフ達は勝利の歓喜にひたる時間もなく、すぐさま選手達の疲労をとることに思考を切り替え、選手達のケアを図りながらナイジェリア戦を迎える。

 当時のアフリカのチームといえば、高い身体能力に頼った荒削りなサッカーが定番。しかし、アトランタ五輪のナイジェリアは、それまでの常識を覆すようなチームであった。個々の潜在能力が高いうえ、チームとしても隙がない。アフリカに対するイメージを変えなければならないほど組織的なチームであり、強敵であった。

 ナイジェリアの布陣は4-4-2。2トップにカヌーとアモカチ。中盤を構成するのはオリセー、アムニケ、ババンギタ、オコチャ。DF陣は左からオバラク、 オケチュク、ウエスト、ババヤロ。GKにドス。

 マスコミの報道は綺羅星のような攻撃陣に注目が集まっていたが、ナイジェリアの強さのベースは守備陣にあった。
 オーナーエイジ枠で参加したCBのオケチュクは対人プレイに強いたけでなく、高いテクニックも兼備。そのオケチュクと中央でコンビを組むウエストは抜群のスピードと身体能力を誇る。
 また、ババヤロ、オバラクの両翼は一定の守備力と高い攻撃性能を持っており、日本攻撃陣がこの鉄壁の守備陣をいかに切り崩すかが焦点であった。




 オーランド州にあるシトラウスボウル・スタジアムで迎えたナイジェリア戦。

 日本は3-5-2の布陣。2トップは城、舞園、トップ下に仲田。ドイスボランチに伊東、服部、左WBに路木、右WBに白井。3バックは左から松田、井原、鈴木。GKに川口というメンバー。
 ブラジル戦で尋常でない運動量を強いられた両サイドをフレッシュな選手に代え、本選出場を賭けた一戦に挑んだ。

 序盤に流れを掴んだのは日本。2分、右サイドから仲田がミドルシュートを放つ。15分には舞園が左サイドから切り込み、際どい場面を作りだす。
 19分、日本は決定的な場面を迎える。仲田のスルーパスを受けた城がオフサイドラインを突破。GKとの1対1を迎えるもここは相手GKのファインセーブに阻まれてしまう。あと一歩という場面が続きつつも、試合の主導権は日本が握っているように見えた。

 しかし、30分を過ぎたころから少しずつ流れがナイジェリアに戻り始める。
 ナイジェリアの圧力が増し、日本守備陣はじりじりと後退しはじめ、日本は2トップと中盤、守備陣の距離があきはじめる。
 盛り返したナイジェリアがその実力を発揮し、試合は一進一退の様相を見せながらもスコアレスで前半を終えることとなり、事件が起きる。




 仲田と路木が言い争い、それを見た西野が仲田の肩に手をかけながら言う。

「お前の言うことももっともだが、他の選手を見てみろ。ブラジル戦の疲労の影響で満足に身体が動かないんだ。こんな状態で攻めに出たら間違いなく大量失点につながるだろう。ここは我慢だ。我慢して勝ち点1取れればほぼ間違いなく決勝トーナメントに進めるはずだ」

 一進一退の状況ながらも、多くの選手はナイジェリアの身体能力に驚愕を覚えていた。疲労の影響か、城の足はつり、守備陣の消耗は激しい。
 そんな中、後半は攻めるべきだと考えた仲田は異端であり、チーム全体が見えていなかったのかもしれない。

 しかし、仲田には根拠があった。45分を終え、仲田も驚愕を覚えていた。もっとも彼が驚愕を受けたのはナイジェリアの強さにではない。その弱さであった。

 仲田がその人生で最も衝撃を受けた試合。U-17世界大会前の練習試合の相手こそがナイジェリアであった。
 圧倒的なまでの身体能力の違いに衝撃を受け、何をしても歯がたたないと感じた相手は「仲田主観」で言えばほとんど伸びていなかった。
 絶望的なほどの「差」を感じた相手は、この五輪の場において「十分手の届く存在」になっていたのである。

 仲田と同じように感じた選手は他にもいた。仲田と共にU-17世界大会に出場した松田である。松田もまたカヌーをマークしつつ、彼らの停滞を感じていた。
 ブラジル相手ならともかく、相手がナイジェリアであればラインを押し上げることも可能だ、と。

 しかし、この二人は少数派であった。二人にとって練習試合を含めれば4度目の対戦となるナイイジェリアも、他の選手達にとっては初めての相手。
 多くの選手達は相手の身体能力の高さに驚愕し、追いつめられていた。

 同じ相手と対戦しながらも、彼らが感じる感触は劇的なまでにかけ離れたものであった。

 選手間に生まれるギャップ――そのことを西野は知っていた。
 五輪に臨む西野を様々な方面からサポートしてきた彼の後輩――宮原から言われた言葉。

「ナイジェリアとハンガリーなら攻めてもいいかもしれない」
「アフリカ勢って身体能力に頼ってる奴も多いから意外に伸びてなかったりしますよ」

 相手の方が格上なのは明白であるとした上で、「世界を知る仲田や世界を目指す舞園ならば攻めを望む気持ちも生まれるのではないか」と。

 後輩の言葉を思いだしながら、西野は決断する。




「だが、守備一辺倒にするつもりはない。久保、卓也後半から行くぞ! 久保を前に残してカウンターを狙う。久保、ゾノ、仲田で攻めつつ、卓也は状況を見ながら上がれ! 無理はするな。無理はする必要はないが……隙ができたら一気にいけ! 勝ちたいのは俺も一緒だ! お前らがどこまで世界に通じるか知りたいのもな。だが! それ以上にこのチームで決勝トーナメントに上がりたい! しんどいかもしれんが、みんなふんばってくれ!」

 西野の言葉を受け、選手達の瞳に火が灯った。

 史実と異なる西野の決断。日本五輪代表が一つにまとまった瞬間であった。

199607④

 最強の呼び声高き王国ブラジル。

 対戦が決まって以来、日本のスタッフ達は懸命に彼らの弱点を探ってきた。最強、最高と言えども同じ人間。つけ入る隙はゼロではないはず。
 彼らはビデオが擦り切れるほど見続け、ブラジル守備陣に微かな光明を見出す。

 CBのアウダイールは世界的な名手であり、その実力は極めて高い。しかし、彼はオーバーエイジで招集された選手であり、GKジダとの連携には不十分な点があった。

 そしてもう一人のCBロナウド。彼にはボールウォッチングという弱点があった。
 ロナウドは左側へのターンは得意だが、右側のターンは苦手である。つまり、自分の左手からのボールに対しては素早く対応できるが、右手からのボールに対してはぎこちなさから対応が遅れてしまう。
 それによって試合中にマークを見失うことがあった。

 日本はこのブラジルの弱点を突くべく、左サイドの遠藤卓也を起点とし、連携の悪いジダとアウダイールの間を再三狙い続ける。ブラジルの猛攻にさらされながらも何度かチャンスを作るものの、ロベウト・カルロスのカバーリングによって何度も防がれていた。

 それでもブラジルに勝つためにはこれしかない。日本の選手達は愚直に挑み、後半27を迎える。




 この日、舞園は苦闘していた。
 ワンタッチでかわしてもフィジカルで潰される。完全にかわし、ドリブルのスピードに乗ったのにもかかわらず後ろから追いつかれることもあった。仕掛けても簡単にボールを取られることもあった。

 それでも舞園は嬉しかった。肌で感じる圧倒的なブラジルの力。己の全てをぶつけても個々では勝てないかもしれない。

「俺一人では勝てないかもしれない……けどな、俺達は勝つ!」

 左に開いた舞園に井原からのフィードが通る。舞園はためらうことなく中に切り込む。舞園が引きつけ、左サイドにつくったスペースを卓也が駆け上がり、左サイドを切り裂く。

 卓也の視界に前線で機を待つ城の姿が入った。

 城を見失ったロナウドのカバーにアウダイールが入ろうとしている。GKジダとの間にはちょっとしたスペース。

 あの二人の中間点にボールを落そう。

 瞬間的にそう判断した卓也の左足からふわりとしたクロスが上がった。

 ゆったりとしたボールは城とアウダイールの間に吸い込まれていく。

 城とアウダイールが競り合い、一瞬ボールを支配下に置いたかに見えたアウダイールと――ジダが交錯した。





 ドイスボランチの一角を担う服部は、己の思考が鈍ってきているのを感じていた。

 己が全力で封じてきた相手は、実は実力の何割かを温存していたようだった。相手も全力だと思い込んでいた。しかしそれはどうやら間違いだったようだ。

 加速度的にギアを上げていくジュニーニョについていくだけで必死であった。肉体的にも精神的にも極度の疲労感が占めていた。

 だからその瞬間、服部は己の目を疑った。

 井原のロングフィードが舞園に渡った瞬間、己同様守備に奔走していたボランチの伊東が、マークする選手はおろか守備のバランスすらかなぐり捨てて走り出したのである。




 突如として伊東は自陣を飛び出した。しかもあろうことか伊東の動きに釣られるように右WBの遠藤明弘もタッチライン際を駆け上がろうとしていた。

 城は卓也のセンタリングに届かなかった。しかし、神は愚直な挑戦者達にほほ笑んだ。

 ボールを支配下においたはずのアウダイールとGKジダが交錯。

 ブラジルの中盤、最終ラインは猛烈な勢いで突っ込んでくる二人の日本人に全く気付いていなかった。

 ジダとアウダイール――二人のブラジル人の間からこぼれたボールを伊東が押し込む。

 極めて簡単なシュート。しかしその価値は計り知れないものであった。

 後半27分、日本先制。




 予想だにしない事態に茫然自失といった表情のブラジルの選手達。

 ブラジルに残された時間は15分余り。彼らの表情からは余裕が消え失せ、必死の表情で攻め立てる。その猛攻は熾烈を極めた。

 刻一刻と試合は進み、後半35分日本が動く。

「前からボールを追え。隙あらば止めを刺してこい」

 西野は城に代えて久保を投入。あえて攻めの姿勢を見せた采配は、日本の選手達全員に『勝利への意思』として伝わり、彼らの目に光を灯す。

 42分、リパウドのクロスにアウダイールが頭で合わせる。シュートはバーを越えていく。

 44分、ブラジルは後半11本目のコーナーキックからロナウジーニョがシュートを放つ。井原が身体を投げ出してて弾き、再びコーナーキックへ。

 45分、ゴール前に上がりっぱなしのアウダイールのヘッドをGK川口がキャッチ。川口のパントキックは唯一前線に残っていた久保目掛けて一直線に飛んでいく。

 体力十分の久保は、CBロナウドとの競り合いを制する。抜け出した久保が左足を振りぬき、その軌道を主審が見届けた。

 46分、日本が予想外の追加点を挙げ、主審はホイッスルを口に運んだ。

 日本対ブラジル――2-0で日本が勝利。

 日本サッカー史上空前の快挙であった。

199607③

 日本のロッカールームはどこか夢見心地のような高揚感に包まれていた。直前に行われた試合で、『世界選抜』すら圧倒した王国ブラジルに、前半を無失点で終えたという事実はそれだけで快挙とも呼べるものであった。
 日本のサッカー関係者ですら予想していなかった健闘に、日本の選手達はかつてない充実感と、自分達もできるという手応えを感じていた。

「なんだ、俺達でもやれるじゃんか」

 そんな軽口すら聞こえるロッカールームの雰囲気を引きしめたのは主将と監督であった。

「ブラジルはここからさらにペースをあげるはずだ。さらにしんどい状況になるだろうが……気を抜くんじゃないぞ」
「井原の言う通りだ。前半は前からのプレスも効いてた。守備陣の健闘もあった。川口のファインセーブも飛び出した。慢心することなく後半もこれを続けていこう。ブラジルとて同じ人間だ。必ず、必ずチャンスが生まれるはずだ。その一瞬を掴みとれ! 勝つぞ!」

 井原がチームをまとめ、西野が後半の策を伝え始める。日本はいささかの油断もなく、勝利への明確な意思を持って後半を迎えることとなる。




 しかし、ブラジルの本気は彼ら想定を超えていた。
 後半開始30秒。ロベウト・カルロスからのクロスをベベトが頭で合わせると、その15秒後にはあわやのラストパスがベベトの足元に入りかける。
 2分、左CKをファーポスト際に走り込んできたジュニーニョが頭で合わせる。

 ブラジルは開始早々からその世界一の個人技を出し惜しみせず、津波のような攻撃を仕掛けてきた。
 日本の選手達は死に物狂いで追いすがるが、彼らが追いついたと思った瞬間に、更にそのスピードが増していく。
 選手達は後半開始前に井原の言った言葉を反芻しつつ、「ここまで上がるのか」と軽口を叩いていた自分達を後悔し始めていた。




 10分を過ぎた頃にはブラジルのDFは二人しか残っていない状況であった。
 両SBは前半より20mほどポジションを上げ、SBというよりウイングと呼ぶべきポジションをとっている。

 ブラジルの左SB――ロベウト・カルロスに対応していたのは遠藤明弘。
 この当時、セリエAの強豪インテルでプレイしていたロベウト・カルロスは『悪魔の左足』を持つ超攻撃的SBとして世界にその名を轟かせていた。
 既にA代表の経験を持ち、セリエAでも30メートル以上のロングシュートを何本も叩きこんでいるロベウト・カルロスへの個別対策は日本にとって必須のものであった。

 事前の綿密な分析と打ち合わせによって明弘が徹底していたのは2点。
 左足でのシュートを防ぐべく中に追い込むこと、スピードに乗ってオーバーラップさせないよう簡単にボールを持たせないポジショニングを徹底すること。

 明弘は攻撃参加を自重し、ロベウト・カルロス対策に専念していた。それでもロベウト・カルロスを完璧に抑えきることはできず、後半開始早々に決定的なチャンスを招いてしまっており、明弘はこの試合中自分が攻撃に参加できる機会は一切ないだろうとすら思い始めていた。
 それほどブラジルの個の力は突出していたのである。




 前半45分間で3本しかなかった枠内シュートは、後半15分で5本を超えていた。波状攻撃を繰り返しつつ、最後の最後で決めきれないブラジルがまず動く。
 19分、ロナウジーニョ――PSVアイトフォーフェンからバルセロナへの移籍が決まった『怪物』ストライカーが投入される。

 更に圧力の増したブラジル攻撃陣の中央突破を日本がぎりぎりのところで凌ぎ続けていた22分、酔っぱらったブラジルのファンがグランドに乱入する。

 試合は一時中断となり、偶然生まれた空白の瞬間も日本の選手達の集中力が途切れることはなかった。日本の選手達は諦めることなく、虎視眈々とその牙を突きたてる瞬間を狙い続けていた。




 そして迎えた後半27分。日本が先制点を挙げる。

199607②

 1996年7月21日現地時間18時半。マイアミのオレンジボウル・スタジアムにてグループリーグ第一戦であるブラジル戦がキックオフされた。

 ブラジルは伝統とも言える4-4-2の布陣。FWにベベトとサビオ。中盤はアマラウ、フラジオ・コンセイソン、ジュニーニョ・バウリスタ、リパウド。右SBにゼ・マリア、左SBにロベウト・カルロス。CBをアウダイール、ロナウドが務め、GKジダというスターティングメンバーであった。

 一方日本はチュニジア戦で試された3-5-2の布陣。2トップを務めるのは城と舞園、トップ下に仲田。躍進著しい久保はジョーカーとの役割を負う。
 圧倒的にブラジルに攻め込まれることが想定される中、監督である西野は「3人だけで点を獲れ」という非情とも言える指示を出していた。

「獲れるか? じゃないぞ。獲れだ! お前達ならできる!」

 やるべきことを明確にされた攻撃陣は、その任務の困難さ以上に自分達への監督の信頼に対する心の高まりを感じていた。

 一方中盤から守備陣はドイスボランチに伊東、服部。左ウイングバックに遠藤卓也、右ウイングバックに遠藤明弘。3バック左から松田、井原、鈴木。GKに川口という布陣である。

 この日抜擢された服部はジュニーニョ、伊東はリパウド、松田がサビオ、鈴木がベベトと、マンマーク気味の対応が指示されていた。
 ただし、どこまでも追いかけるマークではなく、マークの受け渡しを行いつつ、相手選手に対して守備陣一人一人が責任を持つことが意図されており、そのピッチ上の指揮者として唯一のオーバーエイジである井原がその任に就いていた。

 西野はそもそもマンマークよりもゾーンで守ることを志向する監督である。しかし、選手達がポジションのバランスだけを考えてしまうとブラジルの個人技に蹂躙されてしまう。悩みに悩んだ西野の答えがこの形であった。

 ブラジルの良さを消し、日本の良さを出す。圧倒的に攻められる中、一瞬の攻撃にいかに全力を尽くすか。西野やスタッフ達が苦しんで苦しんで出した答えの結果は90分後、明らかになることとなる。




 ブラジルの立ち上がりは静かであった。

 ブラジルは優勝候補筆頭の呼び声高いサッカー王国である。強豪国は決勝までのスケジュールを逆算してコンディションをつくるものであり、日本戦は彼らにとって「優勝するための勢いをつけるために利用しなければならないゲーム」といった位置づけでしかなかった。

 ブラジルを徹底的に研究して臨んだ日本と、日本がどんなチームでどんな選手がいるか、全く知らないブラジル。試合に臨む選手達の姿勢には雲泥の差が存在していた。
 慢心とも言える姿勢。しかし、それでもブラジルは圧倒的な実力をベースに日本を押し込む。

 8分、ジュニーニョが服部にマークされながらもゴール前に走り込み、あわやの場面を作る。タイミングが合わず、ピッチを出るボールを確認したブラジルの選手達には笑みさえ浮かんでいた。

 いつでもゴールを奪える。彼らの表情はそう物語っていた。




 鬼気迫る表情の日本選手と余裕さえ感じられるブラジル選手。動きがあったのは前半も半ばを過ぎたころであった。
 ブラジルの基本的な技術の高さ、一瞬のスピード、状瞬間的な判断力、日本選手がビデオと現実の乖離に驚き、なんとか慣れようとし始めたころであった。
 ブラジルがその牙を見せ始めた。

 26分、ブラジルのシュートが遂に日本ゴールの枠内へ飛ぶ。ロベルト・カルロスのFKであった。ワンバウンドして勢いの削がれたボールを川口が必死の表情でかきだす。
 27分、右からのクロスがゴール前を横切る。松田が身体を張り、こぼれたボールを井原が懸命にクリア。
 28分、またしてもロベルト・カルロスのFKがゴールマウスを襲い、ゴール手前でバウンドしたボールを懸命の表情で川口が弾く。

 井原、松田、川口の横浜Mラインに鈴木を加えた最終ラインは瀬戸際の闘いを続けていた。




 29分、右CKがファーポストに流れ、再び中へ持ち込んだフラビオ・コンセイソンのシュートが松田に当たってこぼれる。
 こぼれたボールの側にいた選手は両国合わせてジュニーニョのみ。
 この日、懸命にジュニーニョを抑えていた服部が初めて見失った瞬間であった。

 ジュニーニョの反応は速かった。コンセイソンのシュートの行方を思わず目で追ってしまった日本選手達を置き去りにし、すかさずシュート態勢へと入る。
 しかし、唯一反応できた日本選手――川口の飛び出しも速かった。ジュニーニョの右足がボールへとインパクトした瞬間、そのコースは日本の守護神によって完全に阻まれていた。

 飛び出しのタイミング、シュートコースの読み、全てが合致した川口のファインセーブはブラジルの勢いを止めることとなる。

 この後、前半終了までブラジルのシュートは枠内に飛ぶことはなく、日本は前半を無失点で切り抜けることに成功。

 王国ブラジルを抑えた日本。後半、日本はブラジルの本気を見ることとなる。
プロフィール

danu

Author:danu
はじめまして。ダヌと申します。
某小説投稿サイトに投稿していた「Jリーグクラブをつくろう~SC鹿児島物語~」という小説をアップしてます。
※一部改稿してます。今後改稿していく可能性ありです。
「ゾノが輝き続けていれば……」とか「シンジにケガがなければ……」と思ったことがある方にはおすすめかと思います。

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なお、ここにある小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。

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